「ポンジスキーム」の生みの親「チャールズ・ポンジ」

どうもボッチです!
今回はある「詐欺師」について触れていきます。
現在の投資詐欺の礎を造ったとされる人物「チャールズ・ポンジ」

これから投資を行おうとする人は、彼が造った詐欺の仕組みを知っておくと投資詐欺に引っ掛かる確率はかなり低くなりますよ。

詐欺師「チャールズ・ポンジ」の経歴から読み解く彼の「無機質性」

「チャールズ・ポンジ」という人物は、イタリアで生まれ、アメリカに移り、イタリアに戻り、ブラジルで死去した。

 

チャールズ・ポンジという「詐欺師」にある種の「敬意」を抱くのであれば、あまり有機質な側面に焦点を当てるべきではないと考えられる。

 

なぜなら、「詐欺師」として特筆されることが多く、加えて、ある意味人生そのものが「ポンジ・スキーム」を具現しているからである。

詐欺師「チャールズ・ポンジ」の経歴「ポンジスキーム」の解説

「ポンジスキーム」を簡単に説明すると、出資者を募り、そのお金を別の事に使い、新たに出資した人のお金は、その、以前の出資者に還元するというシステムである。

 

「チャールズ・ポンジ」の人生のうち、「チャールズ・ポンジ」を「最大多数の出資者のお金(過半数以上の金額)」

「イタリア」を「自分の懐」

「アメリカ」を「出資者の懐」

「ブラジル」を「いわゆる自転車操業先(実際にお金を使う先)」とすると、大体「ポンジスキーム」の起点と週末になり得るのである。

 

「ポンジスキーム」においては、当初、「自分の懐」にお金が大量に入ってくる。そして、中には、「出資者の懐」に返すケースも存在する(アメリカに移る)。

 

しかしながら、ベースは「自分の懐」もしくは、「自転車操業先」への金銭の使用が主目的であるため、次第に「出資者の懐」に「過半数のお金」が行くことはまずなくなる(アメリカから出る(イタリアに戻る))。

 

そうなると、「自分の懐」に「過半数のお金」を確保しておくか、「自転車操業先」に、その「過半数のお金」を回すことになる。

遅くとも、逮捕された(破綻した)時には、「自転車操業先(ブラジル)」に過半数のお金がいっているはずである。

 

いささか、無理やり当てはめた印象も受けるかもしれないが、「チャールズ・ポンジ」の「ポンジスキーム」とはそのレベルで「無機質」なものである。

「ポンジスキーム」の有効性

「チャールズ・ポンジ」の「ポンジスキーム」は、皮肉にも、「スポンジ」を想像すると、大変理解がしやすいものである。

 

すなわち、「(スポンジを絞る)手」が「詐欺師の手」、「(スポンジを握る手を含む)身体」は「詐欺師の身体」である。

 

スポンジは「詐欺師の(出資者に対する)債務」、「(スポンジに注がれる)水」は「出資者のお金」、「スポンジの湿度」は「詐欺師の債務返済度合い」に相当する。

 

「出資者のお金(水)」は継続的に「詐欺師の(出資者に対する)債務(スポンジ)」に充当され、「スポンジの湿度(詐欺師の債務返済度合い)」を潤すが、
手でスポンジを絞る、そして、『どこで絞るのか』は、詐欺師に一任されてしまっている。

 

そして、半永久的に「出資者のお金(水)」が十分に「出資者に対する債務(スポンジ)」に充当され得ることはないために、出資者に対する債務が超過状態となり、破綻に導かれるのである。

 

では、なぜ、「チャールズ・ポンジ」はこのような詐欺手法を考え出したのであろうか。
それは、「(当該詐欺にかかる)債務請求における心理的障壁」を狙った点が一つ挙げられる。

 

即ち、「ポンジスキーム」によって、一部出資者の懐は元通りに改善されるのであるが、一部の出資者は、他の出資者の債務を充当するために自己の金銭が用いられていることになる。

どうなるかというと、「出資者同士が、債権回収時にもめる可能性」が生じるのである。その効果がいくばくかであるかはケースによるのであろうが、「出資者」の「債権額」の減額には必然的に貢献するのである。

詐欺師「チャールズ・ポンジ」の「有機質性」

上述したように、彼は極めて「無機質」な人生をこの面では送っている。
しかしながら、彼は、人間である以上、「有機質」である。そして、「人間」であるという以外にも、確実に「有機質性」を備えてしまうのが、人間である。

 

では、彼はどのような点で「有機質」だったのであろうか。
それは、「ポンジスキーム」の原点、すなわち、彼が主導した「ポンジスキーム」に基づく犯罪に見て取ることができる。

 

彼が詐欺の手法を着眼した際に、着目したのが「切手」の交換レートと、「金銭」の交換レートの差で、利ざやが見込める点であったという。

 

これが意味することが何かと考えた時、「世の中の限界に対する着目」という点が一つ挙げられる。即ち、「何でこれとこれが違うのか?」という着眼点である。

 

小学生にこの着眼点について説明しようと思ったら、
「日本で言うところの、『総務省』と『財務省』という形で、担当しているところが違うから。」
などとならざるを得ないが、小学生がそれで納得できるかは分からない。

 

即ち、シンプルに考えれば考えるほど、意味不明なのである。

「社会が整合性を取れていないではないか。」
少なくとも、「チャールズ・ポンジ」はこの着目をした時に、少なからず、そのような考えを持ったに違いない。その上で、歴史上記録されている「切手」と「金銭」の交換レートから生じ得る「利ザヤ」に着目して、「詐欺師」となる犯罪に着手したはずである。

 

犯罪そのものは、「無機質」であり、彼をとらえる際には「無機質性」に着目できなければならないということは先述した通りである。

 

しかしながら、必ずしも、ことごとく「無機質」だからといって、ある種天才的な、長年にわたってネーミング化され得るような「手法」を思いつくわけではなく、「有機質」な人間である限り、どこかに「有機質性」を備えた着眼点が必ずある。

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